2011年3月31日 星期四

日本業界完全忽略美國30年前的"核電廠完全停電"的模擬測試研究

日本業界完全忽略美國30年前的"核電廠完全停電"的模擬測試研究


原発の全電源喪失、米は30年前に想定 安全規制に活用


 東京電力福島第一原子力発電所と同型の原子炉について、米研究機関が1981~82年、全ての電源が失われた場合のシミュレーションを実施、報告書を米原子力規制委員会(NRC)に提出していたことがわかった。計算で得られた燃料の露出、水素の発生、燃料の溶融などのシナリオは今回の事故の経過とよく似ている。NRCはこれを安全規制に活用したが、日本は送電線などが早期に復旧するなどとして想定しなかった。

 このシミュレーションは、ブラウンズフェリー原発1号機をモデルに、米オークリッジ国立研究所が実施した。出力約110万キロワットで、福島第一原発1~5号機と同じ米ゼネラル・エレクトリック(GE)の沸騰水型「マークI」炉だ。

 今回の福島第一原発と同様、「外部からの交流電源と非常用ディーゼル発電機が喪失し、非常用バッテリーが作動する」ことを前提とし、バッテリーの持ち時間、緊急時の冷却系統の稼働状況などいくつかの場合に分けて計算した。

 バッテリーが4時間使用可能な場合は、停電開始後5時間で「燃料が露出」、5時間半後に「燃料は485度に達し、水素も発生」、6時間後に「燃料の溶融(メルトダウン)開始」、7時間後に「圧力容器下部が損傷」、8時間半後に「格納容器損傷」という結果が出た。

 6時間使用可能とした同研究所の別の計算では、8時間後に「燃料が露出」、10時間後に「メルトダウン開始」、13時間半後に「格納容器損傷」だった。

 一方、福島第一では、地震発生時に外部電源からの電力供給が失われ、非常用のディーゼル発電機に切り替わったが、津波により約1時間後に発電機が止まり、電源は非常用の直流バッテリーだけに。この時点からシミュレーションの条件とほぼ同じ状態になった。
 バッテリーは8時間使用可能で、シミュレーションと違いはあるが、起きた事象の順序はほぼ同じ。また、計算を当てはめれば、福島第一原発の格納容器はすでに健全性を失っている可能性がある。

 GEの関連会社で沸騰水型の維持管理に長年携わってきた原子力コンサルタントの佐藤暁さんは「このシミュレーションは現時点でも十分に有効だ。ただ電力会社でこうした過去の知見が受け継がれているかどうかはわからない」と話す。

 一方、日本では全電源が失われる想定自体、軽視されてきた。

 原子力安全委員会は90年、原発の安全設計審査指針を決定した際、「長期間にわたる全交流動力電源喪失は、送電線の復旧又(また)は非常用交流電源設備の修復が期待できるので考慮する必要はない」とする考え方を示した。だが現実には、送電線も非常用のディーゼル発電機も地震や津波で使えなくなった。

 原子力安全研究協会の松浦祥次郎理事長(元原子力安全委員長)は「何もかもがダメになるといった状況は考えなくてもいいという暗黙の了解があった。隕石(いんせき)の直撃など、何でもかんでも対応できるかと言ったら、それは無理だ」と話す。(松尾一郎、小宮山亮磨)

學總損耗功率,安全法規旨在使美國 30年前。


對於同一類型的反應堆核電站福島第一製藥東京電力公司,1981年 - 1982年美國的研究機構,進行了模擬的一切權力丟失,向美國核管理委員會(NRC)提交找到了。暴露的計算燃料,氫發電,融化的燃料的情況相似,當然,這一事件。雖然使用NRC的安全規例,如日本,沒想到,如早期恢復和電源線。

此模擬是仿照核火箭Brownsferry,進行由美國橡樹嶺國家實驗室。輸出約 110萬千瓦,福島第一製藥核電站 - 通用電氣的第5號(GE)的水煮沸的標誌“I”是火候。

福島第一製藥核電廠這樣,“損失的緊急柴油發電機和一個外部交流電源,電池供電緊急狀態”,並假定,電池可用時間,健康的緊急冷卻系統單獨計算,在某些情況下。

如果可以,4小時的電池,5小時後開始停電“暴露”的燃料,5.5小時後,“燃料達到 485,也可能會發生氫”,六個小時後,“熔融燃料(崩潰)啟動“,七個小時後,”越低,壓力容器的損壞,“八個小時後,”損害控制“,結果出來了。

在另一項計算研究所提供的6小時,8小時後暴露的“燃料”,10小時後,“開始崩潰”,13小時後,“損害控制”了。

與此同時,福島第一製藥,虧損權力從外部源地震中,但切換到柴油發電機緊急停止和發電機大約一個小時後,海嘯,電源為蓄電池直流緊急到。條件進行了模擬,在相同的條件,在這個時候。
8小時的電池可用,不像模擬,但幾乎是相同的順序發生的事件。此外,通過計算,福島第一製藥核電廠安全殼可能已經失​​去了理智。

通用電氣公司的顧問佐藤晃核已從事多年保持沸水下屬的“模擬是不夠好在這個時候。不管是傳世的調查結果,這些過去的電力公司只是不知道“他說。

與此同時,在日本本土,假設所有停電,一直被忽視。

核安全委員會於 1990年,當設計審查指南確定的安全核力量“的長期損失所有的交流電源,電源線或恢復(再次),因為這家工廠預計到交流電源緊急維修沒有必要考慮“的想法。但在現實中,地震和海嘯在​​緊急情況下無法使用柴油發電機的功率也行。

松浦晃一郎Shiyouzi主席部核安全研究協會(主任,國科會元)是“一個糟糕的情況是好的,一切都考慮不成文。隕石(Inseki)打,和任何問,能應付幹,這是不可能的,“他說。 (一郎松尾,磨小宮山誠)

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